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GWを利用して、紀伊半島の脊梁をなす大峰山脈の縦走を試みた。
この道は奥駈道(おくがけみち)といって、修験道の山伏の修行のコースである。
奥駈道は熊野から始まり吉野へ至るものであるが、
その北半分を踏破しようという壮大な計画を立てた。
1日に2本しかない近鉄八木駅からのバスに、
ザックに圧迫されながら3時間近くも揺られて前鬼口に到着。
そこからの3時間近い林道歩きは既に相当にエラい。
大峰を特徴づけるふかふかの杉の落ち葉を踏みながら、
薄暗くなり始めた6時20分、やっと前鬼の宿坊に着いた。
宿坊の前がキャンプ場になっていたが、宿泊者は10名程度であり、
この日がGWの初日であることを考えると相当にマニアックなコースであるといえた。
このコースを辿ろうとする人はみんな何度も大峰に足を運んでいるツワモノ揃いに見え、
また関西語が標準語として使用されていたことも私を孤独にさせた。 翌日5時半、日の出とともに出発。非常にキツい直登を経て太古の辻に着き、 ここから奥駈道に入って北上を開始する。9時30分、釈迦ヶ岳山頂に到着。 頂上には、どうやって運んだのかと思われるお釈迦様の銅像が祀られていた。 空はよく晴れ、眺望は大峰随一といわれているが、先を急ぐことにした。 峻険な谷を横目に見ながら奥駈道を行く。 昨年、室生寺の破壊などの甚大な被害をもたらした台風の影響で非常に倒木が多く、 しばしば行く手を阻まれる。2時、3時と時が過ぎるにつれ次第に焦ってくる。 アップダウンが多く、無名のピークを幾つか越えるうちにバテてきた。 更に悪いことに、水が殆んど残っていない。 やっと八経ヶ岳の山頂に辿り着いた・・・。 ここが近畿の最高峰、しかしその喜びに浸るいとまもなく山頂を辞し、 本日の宿泊場所へ向かう。 17時30分、出発から実に12時間後に弥山小屋に到着。 流石にここには多数の登山客がいた。 疲れ切ってやっとこさ到着しても、一人でテン場を確保して、 食事も作らなければならない。山小屋は楽でいいよなぁ・・・。 非常に寒い。翌朝は寒さの余り3時頃に起きざるを得なかった。 気温は氷点下近くにまで下がるというのに、防寒体勢が全く不完全であった。 凍える手で、やっとの思いでガスコンロに火を着けるも、 湧きかかったお湯を全部ひっくり返して泣きそうになる。 このまま縦走を決行するならすぐにでも出発しなければならないのだが、 これから昨日と同じ位の行程を歩き通す元気はないし、 そろそろ天気も崩れ出すことが人々の口の端に上っているみたいだし、 と自らを納得させ、山上ヶ岳に行くことを諦めて下山を決意する。 そうと決まれば焦ることもなく、 大台ヶ原方面から上る日の出を拝んだあと再び八経の山頂へと向かう。 この辺はホントに山深く、見えるものは360゜山ばかりである。 釈迦、孔雀、仏生といった昨日縦走してきた山々が見える。 この風景にようやく満足して、下山開始。 栃尾辻からは異様に速く、コースタイムの半分で林道に着いた。 下界は、花の咲き誇る春であり、河原では大勢の人が平和にキャンプを楽しんでいた。 天ノ川温泉に浸かって復活したのち、近鉄下市口駅から、 登山者がみんな大阪方面に帰るのを尻目にひとり吉野へ向かう。 奥駈道の途中をすっ飛ばして、ゴールである吉野の喜蔵院YHに到着。 山中には2泊しかしなかったのに、無尽蔵にある水と、 まともなゴハンと、暖かいフトンの有り難みが身に沁みる。 翌日は大雨だったので、下山して正解だった。 泊まってみるまで分からなかったのだが、このYHは宿坊にもなっていて、 住職は山伏界では名の知れた重鎮であるらしかった。 その日の晩は、修験道についての有り難くかつ興味深いお話を伺うことができた。 これぞ旅の醍醐味というべきか。 山に神的なものを認め、そこを修行の場と捉えるという考え方は 西欧流のアルピニズムの発想からは出てこないものであり、非常に共感を覚えた。 そしてまた、山はただ登るだけでなく、 そこにいる人間との関わりにおいて捉えることによってより深みを増すのだと思った。 その翌日は再び晴れ、吉野からほど近い明日香の里を自転車で巡った。 古代の香りのする素朴な石像や、高松塚・キトラ古墳、数々の遺跡などを見学した。 際立つものは何もない、ただの田園風景なのに、 明日香は何故か懐かしく、そして美しい。 昔の日本はみんなこうだったのだろうか。 旅の締めくくりに甘樫の丘に上ってみれば、 そこから見えたものは標高200m足らずの大和三山(天香具山、畝傍山、耳成山)と、 葛城山、金剛山といった日本の歴史を見据えてきた山々だった。 |